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生産者による「スマート畜産技術」採用プロセスをモデル化

日本特有の家族経営などの課題が浮き彫りに

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2024.11.08

要点

  • 持続可能な未来の畜産業を見据え、生産者による「スマート畜産技術」の効果的な採用が不可欠
  • 日本の畜産文脈を詳細に分析し、生産者による技術採用プロセスをモデル化。これにより、技術採用プロセスにおける日本特有の家族経営などの課題を抽出
  • 「スマート畜産技術」の普及には、社会技術システム全体の動体を考慮することが重要であり、普及促進のための政策立案と実務応用に直接貢献する知見を提供

概要

東京科学大学 環境・社会理工学院 融合理工学系の大橋匠准教授(エンジニアリングデザインコース 主担当)らと株式会社Eco-Porkの共同研究チームは、畜産物生産者によるスマート畜産技術採用の意思決定プロセスに関する包括的なモデルを構築しました。

世界的な人口増加や都市化に伴う畜産物需要の急激な増加に対応するため、持続可能な畜産システムの構築が喫緊の課題となっています。この文脈において、スマート畜産技術[用語1]は、生産効率の向上、アニマルウェルフェア[用語2]の改善、そして環境負荷の軽減に大きく貢献する可能性があります。しかし、これらの技術の潜在能力を引き出すためには、生産者による効果的な採用が不可欠です。

本研究では、スコーピングレビュー[用語3]、専門家インタビューや観察データの緻密な分析から理論を導き出す質的研究手法を統合的に用いて、生産者の技術採用に関する複雑な意思決定プロセスをモデル化しました。その結果、技術導入は単純な経済的決定ではなく、生産者の価値観、社会的ネットワーク、政策環境、業界動向など、多層的な要因が相互に作用する段階的かつ反復的なプロセスであることが明らかになりました。たとえば、日本の畜産業での技術導入には、家族経営において技術革新を受け入れるダイナミクスや生産者間のソーシャルキャピタルが重要な役割を果たしていることが分かりました。また、技術の早期採用者による成功体験が社会的な学習を通じてコミュニティ内に伝播し、技術の普及を促進するメカニズムも示唆されました。

これらの知見は、技術普及戦略の策定において、社会技術システム全体の動体を考慮することの重要性を強調しています。本研究は、日本の畜産業における持続可能なシステムの実現に向けた重要な理論的基盤を提供し、今後の技術導入支援策の精緻化に貢献するものです。本研究成果は、科学誌「Technological Forecasting & Social Change」に9月2日にオンライン掲載されました。

2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。

生産者によるスマート畜産技術導入の
意思決定プロセスと社会制度的要因をモデル化
生産者によるスマート畜産技術導入の意思決定プロセスと社会制度的要因をモデル化

図1.生産者による「スマート畜産技術」採用プロセスモデル

図1. 生産者による「スマート畜産技術」採用プロセスモデル

背景

世界の畜産物需要は急速に増加しており、2050年までに2005/2007年の水準と比較して66%の増加が予測されています。この状況に対応するためには、食糧供給の安定を図りつつ、環境負荷を最小限に抑えた持続可能な畜産システムの構築が不可欠です。そのため、精密飼料供給、自動搾乳システム、動物の健康モニタリング技術などのスマート畜産技術が注目を集めています。これらの技術は、生産効率の向上、アニマルウェルフェアの改善、環境負荷の軽減に大きく貢献する可能性を秘めていますが、真の潜在能力を引き出すためには、生産者による効果的な採用が求められます。

日本の畜産業は他の先進国とは異なる特有の課題に直面しています。小規模な家族経営が主流であり、農地が狭く分散しているため、地理的制約が技術導入の障壁となっています。加えて、農業従事者の高齢化と人口減少の進行が深刻な労働力不足を引き起こし、技術採用をさらに困難にしています。また、政府の保護政策や文化的・社会的要因も技術導入に複雑な影響を及ぼしている可能性があります。

このような背景を踏まえて、本研究では日本の畜産業におけるスマート技術導入のプロセスを多層的・動的な社会技術システムとして捉え、包括的にモデル化することを目指しました。これにより、生産者が直面する文化的・社会的要因や技術的制約を考慮した洞察を提供し、効果的な技術普及戦略の策定に貢献することを目的としています。

研究成果

本研究では、以下の3段階アプローチを採用しました。

  1. 1.スコーピングレビュー:Web of Scienceデータベースを用いて291本の関連文献から9本を精選し、20の影響要因を抽出しました。
  2. 2.専門家インタビュー:牛、豚、鶏の畜産に関わる専門家10名(アカデミアおよび実務家)に対し、抽出された影響要因に関する質問を中心に、各1.5時間のインタビューを実施しました。
  3. 3.修正版グラウンデッドセオリーアプローチ(M-GTA)[用語4]:インタビューデータを精密に分析し、84の概念を特定し、それを25のサブカテゴリに分類したうえで、以下の10の主要カテゴリを生成しました。これらのカテゴリは、畜産技術導入に関する意思決定プロセスの重要な側面を包括的に表しており、それぞれが技術採用の促進や阻害にどのように関与するかを示しています。
    1. 生産者の価値観:環境配慮やアニマルウェルフェアといった畜産業全般に関わる広範な視点から、日々の家畜飼養実践における具体的な取り組みまで含む、生産者個人の態度や信念。
    2. 農場経営方針:農場全体としての経営的なビジョンや戦略。
    3. 動機付け:生産者や農場が生産性向上、競争力強化、リスクヘッジなど技術導入を行う目的、動機。
    4. 導入の機会:施設の更新や世代交代、経済的な余裕など、技術導入が可能となるタイミングや条件。
    5. 技術の可用性:特定の技術が利用可能であるかどうかを左右する農場の環境や条件。畜種や飼養方式などが影響する。
    6. 技術の評価・解釈:生産者が技術の使いやすさや効果をどのように評価し、適用しているか。
    7. 技術導入・経験:実際に技術を導入し、運用する際の体験や学習プロセス。
    8. 社会関係:他の生産者や獣医、飼料会社など、意思決定に影響を与えるネットワークや関係性。
    9. 農業政策:政府の支援策、補助金、支援体制が技術普及に与える影響。
    10. 畜産業界の動向:アニマルウェルフェアや市場のトレンドなど、技術導入に影響を与える要因。

これらのカテゴリは、技術導入プロセスの各段階において相互に作用しており、例えば、社会的関係や農業政策が導入の機会に影響を与え、導入機会があるからこそ技術の評価・解釈が行われ、最終的な採用の意思決定に繋がるという段階的なプロセスが確認されました。また、技術の体験や学習プロセスを通じて生産者の価値観が更新され、さらなる技術採用に繋がる反復的なプロセスであることも示唆されました。

主要な発見

本研究のモデル化により、スマート技術導入のプロセスが単なる経済的決定ではなく、段階的かつ反復的な性質を持つ複雑なプロセスであることが明らかになりました。このプロセスは、生産者の価値観や経営方針といった農場レベルの要因、他の生産者や関係者とのネットワークや政府の農業政策といった社会技術レジーム(社会の「ルールの束」)レベルの要因、さらにアニマルウェルフェアや市場のトレンドといった業界を取り巻くランドスケープレベルの要因が相互に作用し、複雑に絡み合っています(図1参照)。

特に、家族経営の畜産生産者においては、保守的な経営スタイルと革新志向の間に緊張関係が存在し、これが技術採用の進展に大きな影響を与えていることが示されました。同時に、政府の政策、補助金、技術サポートなどの外的要因も、技術導入の成功に不可欠であることが確認されました。

生産者のデジタルリテラシーが技術導入の速度や成功率に大きく影響していることも明らかになりました。高機能な技術であっても、生産者がその使用方法を理解し、日常的に適用できるスキルを持つことが重要です。

さらに、家族や地域コミュニティとの関係も、技術導入の意思決定において重要な要素であることが示されました。生産者の意思決定は、個人の判断だけでなく、家族の意向や地域社会とのつながりにも強く影響を受けます。したがって、技術導入を支援するためには、生産者個人だけでなく、家族や地域コミュニティ全体に対するアプローチが必要です。

最後に、技術導入後も生産者に対する継続的な支援が不可欠であることが確認されました。特に、導入した技術の効果を持続させるためには、長期的な技術サポートや政府の補助が必要です。これらの包括的な支援体制が整うことで、スマート技術の導入が持続可能な畜産システムの実現に向けて大きな貢献を果たすことが期待されます。

社会的インパクト

本研究の成果は、畜産業の持続可能な発展に向けて多面的な影響を及ぼすと考えられます。まず、政策立案の分野では、本研究が明らかにした技術導入プロセスの複雑性を踏まえ、各生産者の状況に応じた効果的な政策を立案する手助けとなると考えられます。

技術開発の面では、生産者の価値観や経営方針、畜産動物の飼養形態、インフラの制約などの多様性を考慮することで、より実用的で生産者に受け入れられやすい技術の創出が期待できます。

農業教育の分野では、本研究の知見に基づき、デジタルリテラシー向上を目指す効果的な教育プログラムの設計が可能となります。特に、世代間の技術受容の差を解消するためのターゲットを絞った教育アプローチの開発に役立つと考えられます。

さらに、地域振興の観点からも、本研究は重要な示唆を提供します。スマート技術の導入による持続可能な畜産業の実現は、地域経済の活性化に寄与します。技術導入を通じた生産性向上や環境負荷軽減は、地域全体の持続可能性向上につながる可能性があります。

最後に、本研究は畜産業界全体の将来像を描く上で重要な役割を果たします。技術導入の複雑なプロセスを理解することで、業界全体としてより効果的な変革戦略を立てることが可能となり、結果として日本の畜産業の国際競争力向上にも貢献すると考えられます。

今後の展開

本研究の成果を踏まえ、今後は畜種別の比較研究や国際比較研究を通じて、理論の精緻化と一般化が求められます。また、大規模な量的調査や長期的な追跡調査により、本研究で得られた知見の統計的検証と技術導入プロセスの動態把握が必要です。これらの研究により、スマート畜産技術導入に関する理論のさらなる発展と実践への応用が期待されます。

  • 付記

本研究の一部は、株式会社Eco-Porkの支援を受けたものです。

  • 用語説明

[用語1]スマート畜産技術:スマート畜産技術とは、畜産業における生産性向上や環境負荷軽減、アニマルウェルフェア向上を目的として、センサーやAI(人工知能)などの先端技術を活用するシステムのことである。精密飼料供給、自動搾乳システム、動物の健康モニタリング技術などが含まれる。

[用語2]アニマルウェルフェア:世界動物保健機構(WOAH)は、アニマルウェルフェア(AW)を「動物の生活や死(食用目的のと殺や疾病管理目的の安楽殺)という状況における動物の肉体的および精神的状態」と定義している。すなわち、人類による動物利用(家畜、実験動物、展示動物、伴侶動物など)を認めつつも、前述の状況に際して、可能な限り苦痛を排除しようとするものである。現在、消費者教育の推進に関する法律(平成24年施行)の下で普及が進められている「倫理的消費」の畜産対応として、AWが示されている。農林水産省からも、AWに配慮した家畜飼育を推進すべく通知が発出されている。また世界的な食品企業はもとより、国内食品企業も、自社で取り扱う畜産原材料に対してAWの重要性を示し、AWに配慮された畜産物を扱うことを表明している。国連食糧農業機関(FAO)も持続可能な家畜生産の手法の一つにAWを位置づけており、AWへの対応は世界的な流れになっている。

[用語3]スコーピングレビュー:特定の研究分野やテーマに関する既存の文献を幅広く調査し、現状を把握するための方法である。本研究では、畜産技術に関する国内外の研究を網羅的に調べ、課題や傾向を整理した。

[用語4]修正版グラウンデッドセオリーアプローチ(M-GTA):インタビューや観察データから理論を導き出す質的研究手法の1つである。本研究では、この手法を用いて、生産者がスマート技術をどのように導入・適応していくかのプロセスを明らかにした。

  • 論文情報
掲載誌: Technological Forecasting and Social Change
論文タイトル: From conservatism to innovation: The sequential and iterative process of smart livestock technology adoption in Japanese small-farm systems
著者: Takumi Ohashi(大橋匠 東京科学大学 環境・社会理工学院 准教授)
Miki Saijo(西條美紀 東京科学大学 環境・社会理工学院 教授)
Kento Suzuki(鈴木健人 株式会社Eco-Pork)
Shinsuke Arafuka(荒深慎介 株式会社Eco-Pork)
DOI: 10.1016/j.techfore.2024.123692別窓

 研究者プロフィール

大橋 匠准教授

大橋匠 Takumi OHASHI

東京科学大学 環境・社会理工学院 融合理工学系 准教授

お問い合わせ先

  • 研究に関すること

東京科学大学 環境・社会理工学院 融合理工学系

准教授 大橋匠

Email:ohashi.t.f540@m.isct.ac.jp

  • スマート畜産に関すること

株式会社Eco-Pork

Email:info@eco-pork.com

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