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伝統芸能従事者(歌舞伎、能等)の寿命解析から判明
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院の林直亨(はやし なおゆき)教授と毛塚和宏(けづか かずひろ)講師は、日本の伝統芸能(歌舞伎、茶道、落語、長唄、能)に従事する1700年以降に生まれた男性566名の寿命を分析した。その結果、伝統芸能従事者は寿命が長い傾向があるものの、歌舞伎役者には例外的にその傾向が見られず、他の伝統芸能従事者よりも寿命が短いことを明らかにした。
運動習慣には各種疾病の予防や寿命延伸に効果があることが知られている。そのため、伝統芸能従事者の中でも、特に高強度の運動を頻繁に行う歌舞伎役者や能楽者は寿命が長いことが予想された。しかし統計的な分析からは、歌舞伎役者の寿命は伝統芸能従事者の中では例外的に、対照群とした天皇・将軍家と差がないという結果になった。
この結果は、伝統芸能の分野で長期間運動を含む演目を演じていても、寿命の延伸に影響をもたらさないことを示唆している。一方で、歌舞伎以外の伝統芸能で行われる楽器演奏、発声、発話などの活動の中に、運動習慣に匹敵する寿命延伸に効果を有するものがある可能性もあり、今後のさらなる研究が期待される。
本研究は、5月18日(日本時間)に欧州の人文社会科学誌「Palgrave Communications」に掲載された。
運動習慣は、各種疾病の予防や寿命の延伸に関与することが、多くの大規模追跡調査から明らかになっている(例えばMorrisら 1953、LeeとPaffenbarger 2000)。一方、長年にわたって高強度の運動を頻繁に実施することの影響については明らかにはなっていない。
日本の伝統芸能従事者の間では、日常生活の水準や様式がよく似ており、職業としての身体活動や様式が長年にわたってある程度一定に保たれていると考えられる。一方で、歌舞伎役者や能楽師は他の分野の従事者とは異なり、高強度の運動を頻繁に実施している。このことから、伝統芸能従事者の寿命を解析し、従事している伝統芸能の影響を比較することによって、長年にわたる高強度の運動が寿命に与える影響を検討することが可能と考えられる。研究グループでは、職業として運動を行う歌舞伎役者や能楽師の寿命が長いとの仮説を立てて研究を行った。
本研究では、日本の伝統芸能(歌舞伎、茶道、落語、長唄、能)に従事する1700年以降に生まれた男性566名の誕生年と死没年を、各種情報源(ウェブや書籍)から集計した。20歳以下の死亡や、自殺、戦死、事故死は除いたうえで、2点以上の情報源から誕生・死亡月を確認できた者を解析対象者とした。ただし、能楽師については情報が比較的少ないため、1点の情報源で確認できた者も対象者とした。さらに対照群として、各時代において最高の医療や食料を受けていた天皇家および将軍家の男性133名のデータも解析した。なお、日本の伝統芸能従事者の多くが男性であったため、本研究では男性のみを対象としている。
対象とした伝統芸能のうち、歌舞伎や能では、長期間にわたり高強度の運動が行われていると考えられる。実際に、対象の歌舞伎役者からランダムに抽出した36名について公演(通常は1ヵ月間にわたって実施される)回数を集計したところ、年間6回から27回の公演をこなしており、稽古も含めると相当の運動量であったことが推察された。
生存曲線[用語1]を算出したところ、伝統芸能従事者はすべての群が、天皇家および将軍家よりも寿命が中央値で15歳程度長かった(表1)。一方で、1901年以降に生まれた者に限定すると、伝統芸能従事者の中では歌舞伎役者の寿命が低かった(図1)。
離散時間ロジスティック回帰解析[用語2]を行った結果、誕生年を考慮した場合には、歌舞伎役者の寿命は、天皇家および将軍家と有意差がなく、本研究で対象とした他の分野の伝統芸能従事者よりも短いことが分かった(表2)。このことは、長年にわたり高強度の運動を行う歌舞伎役者や能楽師の寿命は長いとした、当初の仮説を支持しない結果だと考えられる。
寿命の中央値 | サンプル数 | 死亡者数 | |
---|---|---|---|
歌舞伎 | 71 | 150 | 120 |
長唄 | 74 | 119 | 89 |
落語 | 70 | 115 | 75 |
茶道 | 69 | 82 | 59 |
能 | 69 | 100 | 75 |
将軍 | 54 | 64 | 64 |
天皇 | 54 | 69 | 64 |
係数 | |||
職業 (参照:天皇・将軍家) |
長唄 |
-0.6356 |
*** |
歌舞伎 |
-0.1318 |
||
茶道 |
-0.5894 |
*** |
|
落語 |
-0.5894 |
** |
|
能 |
-0.3071 |
* |
|
***:p<0.001、**:p<0.01、*:p<0.05。 |
本研究では、比較的生活水準が安定していると考えられる、日本の伝統芸能従事者を対象としたことで、通常では解析が困難な、ほぼ一生涯にわたる運動実施の影響を解析することが可能になった。一方で課題としては、(1)対象者が男性限定である、(2)健康寿命は解析できない、(3)運動した群(歌舞伎と能)の遺伝の影響や、家を継ぐ使命に伴って運動が開始・継続されたことの影響は考慮していない、といった点があげられる。今後はこうした点を考慮した長期間の運動の影響についての研究が期待される。
また、長期にわたる高強度の運動実施が寿命の延伸に影響しないことがわかった一方で、歌舞伎以外の伝統芸能で実施されていた、運動以外の楽器演奏、発声、発話といった活動が好ましい効果を発揮していた可能性も考えられる。現時点ではそれを支持する論拠は十分ではないため、今後の研究では、伝統芸能における運動以外の活動が健康や寿命に与える影響を検討する必要もあるだろう。
[用語1] 生存曲線 : 時間経過に伴う個体数の減少を示したもの。
[用語2] 離散時間ロジスティック回帰解析 : ある出来事が、いつどのような状況で起こる傾向があるのかを、数量的に明らかにする生存時間解析モデルの一つ。本研究の場合、死亡という出来事が起こる傾向を解析している。
掲載誌 : | Palgrave Communications 6: 98, 2020 |
---|---|
論文タイトル : | The influence of occupation on the longevity of Japanese traditional artists |
著者 : | Naoyuki Hayashi, Kazuhiro Kezuka |
DOI : | 10.1057/s41599-020-0476-6 |